人文研究見聞録:向原寺(広厳寺・豊浦寺跡) [奈良県]

奈良県高市郡明日香村にある向原寺(こうげんじ)です。

日本に初めて献上された仏像を祀ったとされる"蘇我稲目の向原の家"の故地とされ、7世紀には日本最古の尼寺とされる"豊浦寺(とゆらでら)"が営まれたとされています。

なお、現在は別名を広厳寺(こうげんじ)という浄土真宗本願寺派の寺院となっており、寺域にて発掘された推古天皇豊浦宮の遺構を見学することもできるようです。


寺院概要

縁起

案内板によれば、603年に推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)から小墾田宮(をはりだのみや)に遷都した後、豊浦寺を建立したとされており、近年の発掘調査で寺院の遺構に先行する建物が見つかったことから、これを裏付けているとされています。

なお、『日本書紀』によれば、"欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王が仏典と金銅の釈迦仏(日本に初めて伝わった仏像)を献上した。これに天皇は喜んだものの、仏像への礼拝の賛否について蘇我臣と物部大連・中臣連の間で意見が割れたため、この像は蘇我臣(蘇我稲目)が賜った。蘇我臣は仏像を小墾田の家に安置し、仏の修行をした後に向原(むくはら)の家を浄めて寺とした"とあり、これが当寺の始まりであり、日本最初の寺であるとされているようです(他説もあり、日本最初の官寺は四天王寺とされる)。

また、『日本書紀』には蘇我臣が仏像を祀った後に疫病が流行して多くの死者が出たため、仏像の礼拝に反対した物部大連・中臣連は天皇に廃仏する旨を進言し、勅許を得て仏像を"難波の堀江"に棄て、寺に火を放って焼却したとあります(この像は拾われて善光寺の本尊となったとされる)。ちなみに付近には この伝承の残る"難波池"が位置しています。

なお、当寺について案内板では以下のように解説されています。

推古天皇豊浦宮跡・豊浦寺跡

593年、推古天皇豊浦宮にて即位する。以来、約100年間、歴代の天皇は宮を飛鳥の地に集中的に営み、飛鳥は政治の中心地となり、文陸の先進文化を摂取し、斬新・華麗な飛鳥文化が花開いた。603年、北に接し小墾田宮をつくり、豊浦宮は蘇我氏に賜って豊浦寺になったと伝えられる。

明日香村豊浦の向原寺一帯に往時の礎石が残っており、また、1957年以来 数度におよぶ発掘調査により、豊浦寺の遺構が確かめられ、遺跡の保存が図られてきた。1985年、向原寺庫裡の政策に伴い、発掘したところ、7世紀前半建立の豊浦寺の講堂と推測される立派な瓦葺き礎石建物跡が見つかった。さらに、その下層から石敷を伴う掘立柱建物跡が掘り出された。建物は南北3間(5.5m)以上、東西3間(5.5m)の高い床張りである。

飛鳥の宮殿は、建物のまわりに河原石を敷いて舗装するのが特徴であり、従って ここに示す豊浦宮の建物跡は、飛鳥における最初の宮殿遺構として価値が高い。

本尊

・阿弥陀如来(あみだにょらい):西方の極楽浄土の教主で、生あるもの全てを救う仏とされる
 → 真言:オン アミリタ テイセイ カラ ウン

境内の見どころ

山門

人文研究見聞録:向原寺(広厳寺・豊浦寺跡) [奈良県]

向原寺の山門です。

豊浦寺跡石標

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向原寺の豊浦寺跡石標です。

薬師堂

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向原寺の薬師堂です。

本堂

人文研究見聞録:向原寺(広厳寺・豊浦寺跡) [奈良県]

向原寺の本堂です。

遺跡の発掘当時の遺構は、住職に申し出ることで見学可能とされています。

料金: 無料
住所: 奈良県高市郡明日香村大字豊浦630(マップ
営業: 8:30~17:00
交通: 橿原神宮前駅(徒歩25分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。