神坐日向神社(日向社) [奈良県]
2015/09/09
奈良県桜井市三輪にある神坐日向神社(みわにいますひむかいじんじゃ)です。
大神神社の摂社であり、祭神に大物主大神の子孫である櫛御方命、飯肩巣見命、建甕槌命を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、大神神社の主祭神である大物主大神(オオモノヌシ)の大物主の子孫を祀る神社であり、平安時代に成立した『延喜式』神名帳にも記されている古社とされます。
また、大物主の子神を祀ることから、古くは「御子宮(みこのみや)」とも呼ばれており、社殿が北側を向いていることが珍しいと神社であるとされています。
ちなみに、「三輪山の山頂に鎮座する"高宮社"が かつては"神坐日向神社"であった」という説もあり、明治維新後にそれぞれの社名が入れ替わったとも言われているようです。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
大神神社の御祭神・大物主大神(オオモノヌシ)の御子神の櫛御方命(くしみかたのみこと)をはじめ、御子孫の神々をお祀りします。
平安時代の『延喜式』神名帳にも記される古社で、御子神を祀ることから神社の古絵図に「御子宮」として描かれます。社殿が神社建築では珍しく北向きとなっています。
平安時代の『延喜式』神名帳にも記される古社で、御子神を祀ることから神社の古絵図に「御子宮」として描かれます。社殿が神社建築では珍しく北向きとなっています。
祭神
神坐日向神社の祭神は以下の通りです。
・櫛御方命(くしみかたのみこと):『古事記』によれば、大物主神が活玉依毘売との間に儲けた子とされる
→ ある書によれば、素盞鳴尊-大己貴命(大物主命)-事代主命-天日方奇日方命(櫛御方命)とされる
→ 『ホツマツタヱ』では、ツミハ(八重事代主)とタマクシヒメの子のクシミカタマに当たる(5代目大物主)
・飯肩巣見命(いいかたすみのみこと):『古事記』によれば、櫛御方命の子とされる
・建甕槌命(たけみかづちのみこと):『古事記』によれば、飯肩巣見命の子とされる
→ 鹿島神宮の祭神の武甕槌神(タケミカヅチ)とは異なる
→ ある書によれば、素盞鳴尊-大己貴命(大物主命)-事代主命-天日方奇日方命(櫛御方命)とされる
→ 『ホツマツタヱ』では、ツミハ(八重事代主)とタマクシヒメの子のクシミカタマに当たる(5代目大物主)
・飯肩巣見命(いいかたすみのみこと):『古事記』によれば、櫛御方命の子とされる
・建甕槌命(たけみかづちのみこと):『古事記』によれば、飯肩巣見命の子とされる
→ 鹿島神宮の祭神の武甕槌神(タケミカヅチ)とは異なる
関連知識
神坐日向神社の諸説
当社の現在の由緒は上記の通りですが、時代によって社名が異なるとされています。
【神坐日向神社の社名の変遷】
・大神神社社蔵の古絵図:神上ノ宮
・『三輪山絵図』(室町時代):神坐日向神社
・『神名帳考證』(江戸時代):三輪若宮(「櫛日方命、今三輪若宮」とある)
・『大和名所図会』(江戸時代):高宮(「三輪山の嶺にあり、今、高宮と称す」とある)
・大神神社社蔵の古絵図:神上ノ宮
・『三輪山絵図』(室町時代):神坐日向神社
・『神名帳考證』(江戸時代):三輪若宮(「櫛日方命、今三輪若宮」とある)
・『大和名所図会』(江戸時代):高宮(「三輪山の嶺にあり、今、高宮と称す」とある)
このことから、当社の社名は本来は三輪山の山頂に鎮座する高宮社を指し、明治維新後に高宮社と名前が入れ替わったという説があるとされています。
参考サイト:神坐日向神社(ホツマツタヱ解読ガイド)、神坐日向神社(玄松子の記憶)
櫛御方命(クシミカタ)について
当社祭神の櫛御方命(クシミカタ)は、文献によって以下のように定義が異なるようです。
【櫛御方命(クシミカタ)の出自】
・『古事記』:大物主神(オオモノヌシ)と陶津耳命の娘・活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)の子
・『旧事紀』:天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)と言う
→ 橿原の朝の御世(神武天皇の御代)に勅命を受け、食国政申大夫と成って橿原宮に供奉したとある
・『系譜三輪高宮家系』:天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の娘・活玉依比売命(イクタマヨリヒメ)の子
→ 名を天日方奇日方命(アメヒガタクシヒガタ)、別名、武日方命・櫛御方命・阿田都久志尼命・鴨主命とある
→ 神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)の兄とされる
→ 大神朝臣・賀茂朝臣の祖、石辺公の祖とされる
・『古事記』:大物主神(オオモノヌシ)と陶津耳命の娘・活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)の子
・『旧事紀』:天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)と言う
→ 橿原の朝の御世(神武天皇の御代)に勅命を受け、食国政申大夫と成って橿原宮に供奉したとある
・『系譜三輪高宮家系』:天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の娘・活玉依比売命(イクタマヨリヒメ)の子
→ 名を天日方奇日方命(アメヒガタクシヒガタ)、別名、武日方命・櫛御方命・阿田都久志尼命・鴨主命とある
→ 神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)の兄とされる
→ 大神朝臣・賀茂朝臣の祖、石辺公の祖とされる
参考サイト:クシミカタマ(ホツマツタヱ解読ガイド)、櫛御方命(玄松子の記憶)
櫛御方命(クシミカタ)と櫛甕玉(クシミカタマ)
「ヲシテ」という神代文字で記された文献である『ホツマツタヱ』の記述と照らし合わせると、『旧事紀』と『系譜三輪高宮家系』による記述から5代目大物主のクシミカタマ(櫛甕玉)に当たると思われます。
この場合、『ホツマツタヱ』を下敷きにした櫛御方命(クシミカタ)の定義は以下のようになります。
【『ホツマツタヱ』におけるクシミカタマ(櫛甕玉)】
・ツミハ(八重事代主)とタマクシヒメ(玉櫛姫命、三島溝咋の娘)の子
・斎名(諱)をワニヒコという
・タタライスズヒメ(蹈鞴五十鈴媛、神武天皇の皇后)の兄
・オホナムチ(大己貴神)のとりなしでフキネ(天之葺根命、サシクニワカメの夫)の養子になる
・フキネの死後に後を継いで5代目オオモノヌシ(役職名)となる
・イツセ(五瀬命、神武天皇の兄)の大物主となる
・ナガスネヒコ(長髄彦)が騒いでイツセが筑紫に下ったことから、クシミカタマが北陸を治める
・ナガスネヒコが反乱を起こした際、クシミカタマが迎え撃って河内まで追いつめる
・ナガスネヒコの反乱の後、タケヒト(神武天皇)の大物主として仕える
・タケヒトの大嘗会の際、ミケナヘマツリモフスヲミ(神饌供え祭り申す臣)を務める
・神武天皇よりナオリカミ(直り物主神)の家名を賜る
・神武天皇が崩御した際、アヒラツヒメ(神武天皇の妃)と共に遺骸の傍に侍って世を去る
・オホナムチ(大己貴神)・コモリ(子守神)と同じ神霊が憑いていたとされ、この三名が"三輪の神"とされる
・『ホツマツタヱ』の「天の巻」「地の巻」を編纂し、阿波宮(金刀比羅宮)に納めたとされる
【『ホツマツタヱ』から推測される各文献の櫛御方命(クシミカタ)】
・『古事記』:アメノフヌキヌとサシクニワカヒメの子のオオクニヌシ(スサノオの六世孫)
→ 「クシミカタマがフキネの養子となった」という記述と一致
・『旧事紀』:天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)
→ 「神武天皇の勅命を受け、食国政申大夫と成って橿原宮に供奉した」という記述が一致
・『系譜三輪高宮家系』:天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の娘・活玉依比売命の子
→ 出自は異なるが、系譜が『ホツマツタヱ』の記述と概ね一致する
・『出雲国造神賀詞』:倭の大物主 櫛ミカ玉(クシミカタマ)
→ 「倭の大物主 櫛ミカ玉命と御名を称へて、大御和の神奈備に坐せ」という記述と『ホツマツタヱ』の内容が一致
・ツミハ(八重事代主)とタマクシヒメ(玉櫛姫命、三島溝咋の娘)の子
・斎名(諱)をワニヒコという
・タタライスズヒメ(蹈鞴五十鈴媛、神武天皇の皇后)の兄
・オホナムチ(大己貴神)のとりなしでフキネ(天之葺根命、サシクニワカメの夫)の養子になる
・フキネの死後に後を継いで5代目オオモノヌシ(役職名)となる
・イツセ(五瀬命、神武天皇の兄)の大物主となる
・ナガスネヒコ(長髄彦)が騒いでイツセが筑紫に下ったことから、クシミカタマが北陸を治める
・ナガスネヒコが反乱を起こした際、クシミカタマが迎え撃って河内まで追いつめる
・ナガスネヒコの反乱の後、タケヒト(神武天皇)の大物主として仕える
・タケヒトの大嘗会の際、ミケナヘマツリモフスヲミ(神饌供え祭り申す臣)を務める
・神武天皇よりナオリカミ(直り物主神)の家名を賜る
・神武天皇が崩御した際、アヒラツヒメ(神武天皇の妃)と共に遺骸の傍に侍って世を去る
・オホナムチ(大己貴神)・コモリ(子守神)と同じ神霊が憑いていたとされ、この三名が"三輪の神"とされる
・『ホツマツタヱ』の「天の巻」「地の巻」を編纂し、阿波宮(金刀比羅宮)に納めたとされる
【『ホツマツタヱ』から推測される各文献の櫛御方命(クシミカタ)】
・『古事記』:アメノフヌキヌとサシクニワカヒメの子のオオクニヌシ(スサノオの六世孫)
→ 「クシミカタマがフキネの養子となった」という記述と一致
・『旧事紀』:天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)
→ 「神武天皇の勅命を受け、食国政申大夫と成って橿原宮に供奉した」という記述が一致
・『系譜三輪高宮家系』:天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の娘・活玉依比売命の子
→ 出自は異なるが、系譜が『ホツマツタヱ』の記述と概ね一致する
・『出雲国造神賀詞』:倭の大物主 櫛ミカ玉(クシミカタマ)
→ 「倭の大物主 櫛ミカ玉命と御名を称へて、大御和の神奈備に坐せ」という記述と『ホツマツタヱ』の内容が一致
上記のことから、櫛御方命(クシミカタ)は大神神社祭神のクシミカタマ(倭大物主櫛甕玉命)と同神と考えられます。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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