厳島神社(嚴島神社) [広島県]
2018/07/09
広島県廿日市市の厳島(宮島)にある厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。
飛鳥時代に創建されたと伝わる古社であり、宗像三女神を祀る全国の厳島神社の総本社にもなっています。
また、世界遺産にも登録されており、厳島を代表する観光スポットとして知られています。
神社概要
由緒
公式サイトによれば、当社はアマテラスとスサノオの誓約によって生まれた三女神(イチキシマヒメ・タゴリヒメ・タギツヒメ)を祀る神社で、鎮座地を定めるに当たって厳島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下ったことから、鞍職は高天原から下された神鴉(ごからす)の先導のもとに島の浦々をめぐり、当地を選んで社殿を建てたことに始まるとされ、創建の年は推古元年(593年)と伝えられているそうです。
wikipediaによれば、平安中期には『延喜式神名帳』に「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列し、平安末期には安芸守となった平清盛の篤い崇敬を受け、仁安3年(1168年)頃に清盛によって大規模な社殿の造営が行われ、平家とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となったとされます。
しかし、戦国時代になって世が乱れ始めると徐々に衰退していったとされますが、弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収めた毛利元就が当地を支配下に置くと当社を崇敬するようになり、大規模な社殿修復を行うなどしたことから再び隆盛したそうです。また、豊臣秀吉も九州遠征の途中で当社に参拝し、大経堂(千畳閣)の造営を行ったとされます。
江戸時代に入ると、厳島詣(厳島神社に参詣すること)が民衆に流行したことから多くの参拝者が訪れるようになり、明治以後は神仏分離令によって社域の寺院が独立し、明治4年(1871年)には近代社格制度において国幣中社に列し、明治44年(1911年)には官幣中社に昇格したとされます。
そして、現代は松島や天橋立と並んで日本三景の一つである「安芸の宮島」を代表する観光スポットとして知られており、平成8年(1996年)に「厳島神社」として世界文化遺産に登録されて現在に至るとされています。
祭神
厳島神社の祭神は以下の通りです。
・市杵島姫神(イチキシマヒメ):アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神の一柱で、弁財天と習合している
・田心比売命(タゴリヒメ):アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・湍津姫命(タギツヒメ):アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神の一柱
・田心比売命(タゴリヒメ):アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・湍津姫命(タギツヒメ):アマテラスとスサノオの誓約で生まれた宗像三女神の一柱
関連社
境内社
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厳島神社の境内社は以下の通りです。
・客神社(まろうどじんじゃ)(国宝):天忍穂耳命・天穂日命・活津彦根命・天津彦根命・熊野櫲樟日命を祀る
・左門客神社(国宝):豊磐窓神を祀る
・右門客神社(国宝):櫛磐窓神を祀る
・天神社(重文):菅原道真公を祀る
・大国神社(重文):大国主命を祀る
・左門客神社(国宝):豊磐窓神を祀る
・右門客神社(国宝):櫛磐窓神を祀る
・天神社(重文):菅原道真公を祀る
・大国神社(重文):大国主命を祀る
境外社
厳島神社の境外社は以下の通りです。
【摂社】
・三翁神社(宮島町大町):[中央]佐伯鞍職・所翁・岩木翁・安徳天皇・二位尼・大綿津見命を祀る
→ [左殿]大己貴命・猿田彦命を祀る
→ [右殿]御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍・各祖神・若宮を祀る
・大元神社(西大西町):大山祇神・保食神・国常立尊を祀る
・長浜神社(宮島町):興津彦命・興津姫命・所翁を祀る
・御山神社(宮島町):[中央殿]市杵島姫命・[左殿]田心姫命・[右殿]湍津姫命を祀る
・地御前神社(廿日市市地御前):市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命を祀る
→ 客神社:天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命を祀る
【末社】
・金刀比羅神社(宮島町下中西町):大物主神・佐伯鞍職を祀る
・清盛神社(宮島町西松原):平清盛公を祀る
・豊国神社(宮島町):豊臣秀吉公・加藤清正公を祀る
・今伊勢神社(宮島町伊勢町):天照皇大神・八幡大神・春日大神・素戔嗚命・興津彦命・興津姫命を祀る
→ 相殿に大織冠藤原鎌足霊神を祀る
・荒胡子神社(宮島町大町):素戔嗚尊・事代主神を祀る
・四宮神社(宮島町):祭神未詳・迦具土神を祀る
・道祖神社(幸神社)(宮島町):猿田彦神を祀る
・北之神社(宮島町中江町):猿田彦神を祀る
・包ヶ浦神社(宮島町):塩土翁を祀る
・養父崎神社(宮島町養父崎浦):御烏を祀る
・粟島神社(滝町):少彦名命を祀る
・三翁神社(宮島町大町):[中央]佐伯鞍職・所翁・岩木翁・安徳天皇・二位尼・大綿津見命を祀る
→ [左殿]大己貴命・猿田彦命を祀る
→ [右殿]御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍・各祖神・若宮を祀る
・大元神社(西大西町):大山祇神・保食神・国常立尊を祀る
・長浜神社(宮島町):興津彦命・興津姫命・所翁を祀る
・御山神社(宮島町):[中央殿]市杵島姫命・[左殿]田心姫命・[右殿]湍津姫命を祀る
・地御前神社(廿日市市地御前):市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命を祀る
→ 客神社:天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命を祀る
【末社】
・金刀比羅神社(宮島町下中西町):大物主神・佐伯鞍職を祀る
・清盛神社(宮島町西松原):平清盛公を祀る
・豊国神社(宮島町):豊臣秀吉公・加藤清正公を祀る
・今伊勢神社(宮島町伊勢町):天照皇大神・八幡大神・春日大神・素戔嗚命・興津彦命・興津姫命を祀る
→ 相殿に大織冠藤原鎌足霊神を祀る
・荒胡子神社(宮島町大町):素戔嗚尊・事代主神を祀る
・四宮神社(宮島町):祭神未詳・迦具土神を祀る
・道祖神社(幸神社)(宮島町):猿田彦神を祀る
・北之神社(宮島町中江町):猿田彦神を祀る
・包ヶ浦神社(宮島町):塩土翁を祀る
・養父崎神社(宮島町養父崎浦):御烏を祀る
・粟島神社(滝町):少彦名命を祀る
七浦神社
厳島の周囲の七浦には、厳島神社の末社が祀られています。
当地には御島廻式という習わしがあり、古くは この七社に参拝してから厳島神社に参拝したそうです。
・杉之浦神社(宮島町杉之浦):底津少童命を祀る
・鷹巣浦神社(宮島町鷹巣浦):底筒男命を祀る
・腰細浦神社(宮島町腰細浦):中津少童命を祀る
・青海苔浦神社(宮島町青海苔浦):中筒男命を祀る
・山白浜神社(宮島町山白浜):表津少童命を祀る
・須屋浦神社(宮島町須屋浦):表筒男命を祀る
・御床神社(宮島町御床浦):市杵島姫命を祀る
・鷹巣浦神社(宮島町鷹巣浦):底筒男命を祀る
・腰細浦神社(宮島町腰細浦):中津少童命を祀る
・青海苔浦神社(宮島町青海苔浦):中筒男命を祀る
・山白浜神社(宮島町山白浜):表津少童命を祀る
・須屋浦神社(宮島町須屋浦):表筒男命を祀る
・御床神社(宮島町御床浦):市杵島姫命を祀る
関連知識
厳島神社創建伝説
広島県大竹市には、以下のような厳島神社の創建伝説があるそうです。
推古元年(593年)、大和国の印南の野に七色の声で鳴く鹿が現れた。その鹿は評判となり、それを知った天皇は「是非その鹿を見てみたい。誰かその鹿を捕えてこい」と公卿たちに命じた。
しかし、公卿たちの中には鹿を捕えられるような勇猛な者はおらず、互いに顔を見合わせるだけで何もできなかった。そこで、佐伯部の役人であった佐伯鞍職が進んでこの役を受けることにした。
佐伯鞍職は腕の立つ勇猛な人物であったが、鹿の動きはとても素早く、生け捕りにすることは簡単ではなかった。だが、天皇が是非とも見たいと言っているので、この鹿は弓矢で射殺してでも捕まえるべきなのではないかと考えた。
そして、印南の野に戻ると再び鹿を見つけたので、生け捕りを試みてみたが やはり捕えることは難しく、鞍職は遂に弓矢を放って鹿を射ち殺した。鞍職は人夫たちに鹿を担がせて宮廷で披露したが、そこで公卿たちは鞍職の手柄を妬んで「この毛色が金色の鹿は古来より神の使いとして尊とばれたものである。特に九色の毛色が入り交じって金色に見えることは珍しく、神の使いを殺した者を許してはおけない。重罪に処すべきだ」などと意見した。そのため、推古天皇は止む無く鞍職を重罪人として流刑に処した。
小船に乗って瀬戸の海へと漕ぎ出した鞍職は、やがて安芸の沙々羅濱に流れ着いた。これまで役人として何不自由無い暮らしを送ってきた鞍職だったが、流刑にされて以降は困窮した生活となり、毎日漁に出て その日その日をなんとか食いつないでいくような暮らしとなった。
ある日の夜明け方、因賀島(厳島)の西方から紅の帆を張った船がやって来て、大竹の入り江に入っていった。紅の帆を張った船は珍しかったので、鞍職が近づいて見ると、それは船ではなくルリガラスの壺であることが分かった。また、その壺の中から十二単の衣を着た三女神が現れて「我らはイチキシマヒメ、タキリビメ、タキツヒメである。元は西国(九州)にいたが、思うところがあって遥々やって来た。この地に留まろうと思うので、そなたに案内を頼みたい」と言った。
鞍職が因賀島の七浦を巡って案内したところ、三女神は三笠の浦に来たときに「あらいつくしい」と言った。そのため、この島を「いつくしま」と呼ぶようになった。また、三女神は「この浦に神殿十七間、回廊十八間を造営し、我々を厳島大神として祀れ」という神勅を下した。
しかし、鞍職は重罪人とされた身なので そのような大役が勤まるはずがないと正直に申し上げ、さらに朝廷に奏上するには裏付けになるような霊験あらたかなものが必要であるということを伝えた。すると、三女神は「汝が朝廷に奏上する時に宮廷の北東の空に客星の奇妙な光が出現して宮廷の公卿たちを驚かせるであろう。また、そのときに多くのカラスが集まって宮廷の榊の枝を咥えるであろう。それを証拠とするように約束して奏上せよ」と命じた。
よって鞍職は都に上り、三女神の神託を天皇に奏上した。するとそのとき、難波の宮廷の北東の空に不思議な客星の光が輝き、榊の枝を咥えた千羽のカラスが現われて樹上で騒いだ。これを見た天皇は鞍職の奏上が正しいことを確信し、即座に鞍職の罪を許して三女神を祀るよう命じた。
勅許を受けた鞍職は神託の通りに厳島に神殿の造営を始め、厳島神社が完成すると鞍職は神主となり、佐伯という姓に因んで周辺一帯を佐伯郡と名付けて治めることになった。
なお、初めて鞍職がイチキシマヒメと会ったときに「そちはいかなる者ぞ」と尋ねられ、「ところの者です」と答えたことから、鞍職は「所の翁」と呼ばれるようになったと言われており、この故事から大竹市元町辺りでは地元の人のことを「ところの者」と呼ぶという。
しかし、公卿たちの中には鹿を捕えられるような勇猛な者はおらず、互いに顔を見合わせるだけで何もできなかった。そこで、佐伯部の役人であった佐伯鞍職が進んでこの役を受けることにした。
佐伯鞍職は腕の立つ勇猛な人物であったが、鹿の動きはとても素早く、生け捕りにすることは簡単ではなかった。だが、天皇が是非とも見たいと言っているので、この鹿は弓矢で射殺してでも捕まえるべきなのではないかと考えた。
そして、印南の野に戻ると再び鹿を見つけたので、生け捕りを試みてみたが やはり捕えることは難しく、鞍職は遂に弓矢を放って鹿を射ち殺した。鞍職は人夫たちに鹿を担がせて宮廷で披露したが、そこで公卿たちは鞍職の手柄を妬んで「この毛色が金色の鹿は古来より神の使いとして尊とばれたものである。特に九色の毛色が入り交じって金色に見えることは珍しく、神の使いを殺した者を許してはおけない。重罪に処すべきだ」などと意見した。そのため、推古天皇は止む無く鞍職を重罪人として流刑に処した。
小船に乗って瀬戸の海へと漕ぎ出した鞍職は、やがて安芸の沙々羅濱に流れ着いた。これまで役人として何不自由無い暮らしを送ってきた鞍職だったが、流刑にされて以降は困窮した生活となり、毎日漁に出て その日その日をなんとか食いつないでいくような暮らしとなった。
ある日の夜明け方、因賀島(厳島)の西方から紅の帆を張った船がやって来て、大竹の入り江に入っていった。紅の帆を張った船は珍しかったので、鞍職が近づいて見ると、それは船ではなくルリガラスの壺であることが分かった。また、その壺の中から十二単の衣を着た三女神が現れて「我らはイチキシマヒメ、タキリビメ、タキツヒメである。元は西国(九州)にいたが、思うところがあって遥々やって来た。この地に留まろうと思うので、そなたに案内を頼みたい」と言った。
鞍職が因賀島の七浦を巡って案内したところ、三女神は三笠の浦に来たときに「あらいつくしい」と言った。そのため、この島を「いつくしま」と呼ぶようになった。また、三女神は「この浦に神殿十七間、回廊十八間を造営し、我々を厳島大神として祀れ」という神勅を下した。
しかし、鞍職は重罪人とされた身なので そのような大役が勤まるはずがないと正直に申し上げ、さらに朝廷に奏上するには裏付けになるような霊験あらたかなものが必要であるということを伝えた。すると、三女神は「汝が朝廷に奏上する時に宮廷の北東の空に客星の奇妙な光が出現して宮廷の公卿たちを驚かせるであろう。また、そのときに多くのカラスが集まって宮廷の榊の枝を咥えるであろう。それを証拠とするように約束して奏上せよ」と命じた。
よって鞍職は都に上り、三女神の神託を天皇に奏上した。するとそのとき、難波の宮廷の北東の空に不思議な客星の光が輝き、榊の枝を咥えた千羽のカラスが現われて樹上で騒いだ。これを見た天皇は鞍職の奏上が正しいことを確信し、即座に鞍職の罪を許して三女神を祀るよう命じた。
勅許を受けた鞍職は神託の通りに厳島に神殿の造営を始め、厳島神社が完成すると鞍職は神主となり、佐伯という姓に因んで周辺一帯を佐伯郡と名付けて治めることになった。
なお、初めて鞍職がイチキシマヒメと会ったときに「そちはいかなる者ぞ」と尋ねられ、「ところの者です」と答えたことから、鞍職は「所の翁」と呼ばれるようになったと言われており、この故事から大竹市元町辺りでは地元の人のことを「ところの者」と呼ぶという。
参考サイト:大竹市歴史研究会
境内の見どころ
大鳥居
厳島神社の大鳥居です。
日本三大鳥居の1つに数えられる高さ16mの木造両部鳥居であり、国の重要文化財に指定されています。
また、干潮時には海辺から真下にまで近づくこともできます。
石鳥居
厳島神社の石鳥居です。
神馬舎
厳島神社の神馬舎です。
参拝入口
厳島神社の参拝入口です。
ここで拝観券を購入して中に入るようになっています。
鏡の池
厳島神社の鏡の池です。
干潮時に手鏡のように見えることから、この名で呼ばれているそうです。
回廊
厳島神社の回廊です。
東廻廊と西廻廊に分かれており、本殿・拝殿などとともに国宝に指定されています。
また、柱と柱の間は8尺(約2.4m)、その間の板は8枚に揃えられていると言われています。
拝殿
厳島神社の拝殿です。
狛犬
厳島神社の狛犬です。
平舞台
厳島神社の平舞台です。
日本三舞台の1つに数えられており、国宝に指定されています。
祓殿
厳島神社の祓殿です。
高舞台
厳島神社の高舞台です。
舞楽の奉納に使われる舞台であり、平舞台とともに国宝に指定されています。
反橋
厳島神社の反橋です。
弘治3年(1557年)に毛利氏によって再建されたものであり、国の重要文化財に指定されています。
なお、勅使が参拝するときに使われたことから、勅使橋とも呼ばれているそうです。
料金: 一般300円ほか
住所: 広島県廿日市市宮島町1-1(マップ)
営業: 6:30~18:00頃(季節によって変動)
交通: フェリー乗り場(徒歩14分)
公式サイト: http://www.itsukushimajinja.jp/index.html
住所: 広島県廿日市市宮島町1-1(マップ)
営業: 6:30~18:00頃(季節によって変動)
交通: フェリー乗り場(徒歩14分)
公式サイト: http://www.itsukushimajinja.jp/index.html
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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